茶の湯はシンプルだけど奥が深いもの

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茶の湯とは

茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて のむばかりなることと知るべし

茶の湯の世界では、お茶を淹れることを「お茶を点てる」と表現するので、以後このブログではお抹茶をいれることを「お茶を点てる」と表現します。

この茶の湯とはなにかを端的に表しているこの言葉は、千利休の教えをはじめての人にもわかりやすく、かつ覚えやすいようにと和歌のかたちにした『利休百首』または『利休道歌』と呼ばれる歌集からの抜粋です。


茶の湯というと敷居が高い、着物を着れない、お作法を知らない、正座ができないなどの理由で興味はあるけれど尻込みしてしまう人が多いですが、実は茶の湯はとてもシンプルなものなのです。

茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし

裏千家のホームページより引用

茶道とはなにかを一言で端的に表すとしたらこの言葉になりますが、これだけではイメージが湧きにくいと思うので補足をすると、このシンプルな行為の中に禅の教えに繋がる精神修行 ( 精神統一 ) ・日本の伝統文化・日本人らしい礼儀作法がギュッと詰まっているのが茶の湯です。茶の湯には簡単な行為の中に奥深いなにかがあるのです。

ただお茶を点てるだけの行為が500年以上も続く理由

茶の湯が500年続く理由

現代の茶の湯の礎を築いた村田珠光の時代(1422-1502)から500年以上、廃れることなく続く理由は、茶の湯にはいつの時代も変わらない、日常生活に通づる学びがあるからです。

利休七則(りきゅうしちそく)の一節を例にとってみます。

相客に心せよ

裏千家のホームページより引用

「相客(あいきゃく)」とは一緒にお客になった人たちのことで、利休七則とは、茶人が心得るべき7つの教えのことです。

「相客に心せよ」は、お茶会に招かれたらお正客の人も末客の人もお互いを尊重し合い、楽しいひとときを過ごすようにという教えになります。

お茶会に限らず、日常生活の場でも職業・役職・学歴・年収などで差別するのではなく、お互いの素晴らしいところを見つけて尊重し合いましょうという意味にとれます。

お客同士に限らず、亭主がお客様を誠心誠意込めておもてなしする心、道具を大切に扱う心、お茶を点てることに全集中力を投じて、今この瞬間を大切に生きる心など、いつの時代にも普段の生活に取り入れられる学びがあるのが茶の湯の魅力です。

精神的な学びだけでなく、茶道がきっかけで着物、陶器、香道、華道、禅語、書道と興味の幅が広がり日本人として日本文化の教養を身に着けることができるの点も人々を魅了してやまないポイントです。

茶の湯を学んでいると自然と姿勢がよくなり、ものを丁寧に扱う心が所作に表れることも実感しています。

このように茶の湯はどんな時代でも通用する日常生活に通じる気づきを得られる精神修行、日本文化や所作・マナーなどを学べて教養人になれるためいつの世も人々を魅了し続けて現代にまで続いています。

ただお湯をわかしお茶をたてて飲むだけの行為が、なぜこんなにも日本を代表する文化として根付いたのか、私自身が長い間疑問に思っていたことなので、茶の湯を10年以上学んだ上で、私が思う茶の湯文化が500年以上も続く理由をお伝えします。

禅に繋がる精神修行

精神修行

茶の湯をしているとお稽古を通じて禅の教えに気づかされることが多々あり、これが「ただ茶を点てて飲むだけの行為」が何百年も精神修行プラスアルファとして続いている理由だと確信しています。

お茶を飲む習慣は栄西が宋時代の中国から禅と喫茶法を輸入したことがきっかけで僧侶や宮廷だけでなく武士や商人にまで広がりました。
13~14世紀は闘茶のようにギャンブル要素の強いものや茶寄り合いといった高級な茶道具の見せびらかしの要素が強い会が主流でした。
15世紀になり、茶の湯の祖である村田珠光がお茶を飲む行為に禅の精神性を融合させました。

茶の湯に融合された禅の精神の一部を紹介します。

  • 高級品を持ちたいという執着を捨てる。
  • 茶の湯を知らない人や高価な茶道具を持っていない人を蔑む心を捨てる。
  • お茶を点てて目の前のお客様をおもてなしすることだけに集中する。
  • 高価な茶道具がなくても、日本にあるものの中から美しさを見い出す。

このように、茶を飲むという行為が高価な茶道具を見せ合うような派手な要素が強かった茶寄合いから、お茶を点てる行為そのものに集中する ( 精神統一 )、おもてなしのこころを持ってお茶を点てるなど精神性の高い茶の湯に変化していきました。

村田珠光がお茶を飲む行為と禅の精神を結び付けなかったら、きっと今の茶道は単なるお茶を淹れる作法にしかなっていなかったと思います。

執着を捨てること、あるものの中から何かを見出そうとすること、目の前のことに全集中すること全て禅の教えに繋がっていて、現代を生きる私たちにとっても大事な心構えです。

『気づき力』アップ

茶道をしていると、相手が自分のためにしてくれたことや日常のさりげないことに気づく感性が養われます。
私の場合は、先生が自分のためにしてくださっていることから、先生の私に対する思いやりや指導する熱意を感じ取りました。

例えば私は日本にいた頃は先生のご自宅の茶室でお稽古してもらっておりましたが、先生はお稽古の前にお抹茶とお菓子を選定し、どのお点前のお稽古をするかの計画をし、そのお稽古の日に床の間に飾る掛け軸やお花など全てを準備して迎え入れてくれます。

さらにいつ訪れても先生の家は非常に綺麗です。お茶室だけではなく、玄関からお茶室に入るまでの通路からお手洗いに至るまでチリ1つ落ちておりません。

私たち生徒のために、日常のお稽古でもそこまで徹底して準備をして下さる先生の気配り、思いやり、心構えに感動しております。

自分のために先生が何かをしてくれていることに気づいて、感謝の念をいだく。そういうことをただ流すのではなく、相手がしてくれたことを認識して感謝する気持ちを持てるようになったのは、茶道のお稽古を続けて、茶道について学ぶ心があったからだと自覚しています。

これは茶道に限った話ではありません。書道を習うにしても、英語を習うにしても、スポーツを習うにしても、先生は生徒のために準備をしているはずです。そして生徒が帰ったあと、後片付けをするところまでが先生の仕事です。
先生は仕事だから仕事の前に準備をして後片付けをするのが当たり前と言われればその通りです。ですが相手が自分のためにしてくれたことに気づいて、感謝する気持ちを抱くことに意味があります。

改めて胸に手をあてて、先生の顔を思い出してみる。そうすると自然と先生に感謝する気持ちが芽生えて心がリラックスするはずです。

私は茶道を10年以上学んでおりますが、最近になってやっと何も意識しないでいるとそのまま流れてしまいそうなお稽古風景からも気づきを得て感謝する気持ちを持つようになったことに喜びを感じています。この気づきは確実に茶道をしているからこそ得られた気づきです。

お茶事に学ぶ究極のおもてなし精神

茶道を学んでいる人以外はお茶事に参加する機会はほぼないと思われますが、もしお茶事に参加する機会があったら是非参加して欲しいです。お茶事とは本格的なお茶会のことで茶道を学んでいる人は初釜といって1月にお茶事をすることが多いです。

私は基本的にはお茶の先生が開催してくださるお茶事にしか参加した事はありませんが、お茶事は普段のお稽古以上に事前準備と後の片付けに時間と手間がかかります。

茶道を学んでいるからこそ、いかに大変かを想像することはできますが、お茶の経験がない方でも、お茶事のあの非日常で究極のおもてなし空間を一度味わってみて頂きたいです。ほどよい緊張感の中に亭主と客人の心が一体となってほっこりする、そんな空間を作り出してくれる亭主のおもてなしの心に驚くことは間違いありません。

お抹茶やお菓子の選定はもちろんのこと、まずお茶事を開催するとなるとお茶事のテーマとなる掛け軸をどうするか、お茶碗、お棗、お茶杓などすべてのお茶道具はどれを使うかを何日も前から考えて、場合によっては自宅からお茶室まで運ぶという様々な手間がかかっております。

事前準備だけでなく当日も火をおこして、お料理を提供して、お湯がちょうどよいタイミングでお抹茶を点てて、とタイムマネジメントがポイントとなるのが当日です。

そしてお客様が帰られたら元通りに戻しておきます。もしお道具を師匠から借りているといった場合はお返しに行かないといけませんし、お茶事を開催するのは非常に大変なことです。

私の場合は普段からお世話になっている先生が開催してくださるので、私たち生徒の学びを深めるために、そこまでしてくださる先生のおもてなしに感激せずにはいられません。

他のお稽古ごとや学習にも活かせる学び

茶道のお稽古は、他のお稽古ごとや学習をするステップや姿勢にも通じる点があります。

例えば私は語学の勉強が好きなので、語学の勉強と茶道の例をお話しします。

茶道は同じお点前を繰り返し何回も何回もすることで、お点前のお作法が身体に染みつき、頭で考えなくても身体が自然に動くようになります。

茶道初心者の方の多くは、盆略点前という比較的覚えやすく簡単なお点前から学びますが、それは一回教えてもらって終わりではなく、体が自然に動くなるようになるまで、何回も同じことをします。
最初のうちは次はお茶碗を清めるのか、何をするのかと頭の中で考えながら行いますが、何回も同じお点前をしているうちに考えなくても体が覚えていき、自然に体が動くようになります。

語学の勉強も同じで、何回も書いたり聞いたり話したり読んだりするうちに自分の体に染み付き、自分が話せる内容や聞き取れる内容がレベルアップしてくるものだと思います。同じことを何回も繰り返すことで、普段話していることは考えないでも言葉がついて出てくるようになると思いますが、茶道を学ぶステップもそれと全く同じです。

こういった普段のお稽古を積み重ねることで、最初はどうやってお茶を点てるのか、ばかりに集中してしたのが、いつもどこでつまづくのかに気がついたり、次の課題を見つけたりします。茶道を学ぶことでものごとを学ぶ基本に帰ることができます。

茶道で学ぶ美しい所作と礼儀作法

茶道をしていると自然と美しい所作が身に着きます。

茶道ではお稽古用の特別高価ではないお茶碗でも、非常に高価で由緒あるお茶碗として扱いますので自然と所作が丁寧になります。
そのようにお稽古でものを大切に扱っていると、日常生活でも1つ1つのものを大切に扱うようになります。私は日常生活でもものを扱うときは、指をそろえて丁寧に扱っていたようで、あるとき友人に言われて初めて気が付きました。意識したつもりは全くなかったので、お稽古を積んだおかげで自然と身についた所作といえます。
また姿勢が良いとも言われます。それは猫背でお点前をしているとお客様にとっておみぐるしいので、お稽古中は見苦しい姿をお客様に見せないように気をつけています。その点は自然に身に着いたわけではなく、お稽古のおかげで日常生活でも意識して気をつけるようになりました。

そういった所作のほかにも礼儀作法が学べます。
特に私がお茶の世界らしくて、好きな礼儀作法は感謝の気持ちを手書きの手紙で表すことです。さすがに毎回お稽古のあとに先生にお手紙を書くわけではありませんが、お茶事のあとには必ずお礼のお手紙を書きます。

現代はお茶の先生ともメールで連絡ができる時代なので、メールでお礼を書けば数分で終わるところを、あえて手紙にして書くというその心がお茶の世界らしく、ほっこりしするのでとても好きなのです。相手に感謝の気持ちを伝える基本を学べる一例です。
本来はお茶事のあとだけでなく、お茶事の前日にも亭主の家にご挨拶に行くようですが、現代はそこまでしている茶人はほぼいないかと思います。

ビジネスの世界でも全てメールやビジネスアプリで完結できるところを、あえて特別感謝の意を表したいときに手書きの手紙を心を込めて書くと喜ばれるかもしれません。

集中力が増し精神統一が図れる

茶道を学ぶと集中力が増すというのは、実際に多くの人が経験している効果です。

その理由の1つは、茶道は1つ1つの動きに集中するため、そのことで日々の雑念が頭の中から振り払われて、目の前のお点前のみに集中することから集中力が増すのです。

お稽古中は先生や他の生徒とお話しすることもありますが、静まり返って松風を聞きながらお点前に集中している時は集中力が最高点に達します。

お稽古場によってまちまちですが、お稽古のお部屋にきちんとお軸が掛けられていて利休百首の一首を読み上げて、朝礼をするお稽古場があります。

その儀式によって日常から切り離され、茶の湯空間に来たことを脳に自覚させることで茶の湯の時間に集中できます。

茶空間に来たと自覚してお稽古に集中し、自分自身と向き合い、内面を見つめることにより集中力がギュッと高まり精神統一に導かれるのが茶道の魅力の一つです。

茶道は日本文化の総合芸術

茶の湯は日本独自の美意識や哲学が表現された総合芸術といわれます。その日本独自の哲学や精神性から、日本文化の代表的な芸術として海外でも高く評価されているのです。

茶道には茶室建築、茶道具の選定や作製、お茶の点て方やお菓子の作り方、着物、香道、華道、掛け軸、懐石料理など様々な日本文化の美や哲学が含まれた要素がつまっています。
お菓子には季節に合わせた形状や色を使うこと、お香の仄かな香りを楽しむことやシンプルな茶花を楽しむことなど全て日本の美意識からくるものです。

美意識の他にも茶道具の形や色合い、形状、装飾に込められた意味や歴史、茶道具を作る職人の技術を垣間見るのもまた学びです。掛け軸の禅語の意味やくずした書体を読みとくことも新たな学びですし、お茶碗やお抹茶の産地の知識も教養になります。陶器は日本中至るところで作られているので、それを研究するだけでもかなりの教養になります。

身近な非日常体験

茶道教室に通うだけでも充分に非日常を味わえますが、お茶事に参加すると茶の湯の世界がいかに非日常的な空間で、亭主と客が一体となって作り出す特別な時間であるかがわかります。

簡単にお茶事の流れを案内します。
お茶事はお茶室で行われます。
お茶室と茶庭はセットになっていて、茶庭は日常と非日常の結界のような役割をもっています。

始めに茶庭の扉を開けて、石の路地を歩いてよく神社で見かけるような蹲踞(つくばい)で身を清める行為で日常から切り離されます。

その後にあの小さい躙口から茶室に入るわけですが、全てが非日常です。

お茶事では、まずお茶室に入ったあとは掛け軸を眺めて、そのまま畳の上を歩いて風炉または炉を拝見します。客人が全員に席についたらご挨拶をして、亭主が炭点前をします。炭でお湯を沸かすのです。お湯が沸くのを待っている間に懐石料理を食べて、お湯加減が良くなったのを見計らってお茶を飲み始めます。

お茶事は通常4時間かかりますが、その4時間は本当に非日常空間です。お食事が終わってから一度客人たちはお茶室を出ますが、お茶室の外に出て日常の景色を見ると、異空間から戻ってきたような気持ちになります。

お茶事はお茶の先生の家がお茶室になっている場合は、先生のご自宅で開催されることが多いですが、東京・新宿にある『柿傳』のように茶室を借りれる場所もあります。
お茶事に参加するのにも様々な知識やマナーが必要なので、次はもっときちんと振る舞いたいという気持ちもお茶のお稽古を続けたいというモチベーションになります。

茶の湯とは・まとめ

茶の湯とは、お湯を沸かしてお茶を点てて飲むだけの行為に禅の教えに繋がる精神修行と日本の哲学と美意識を吹き込んだものです。

わたし自身、もともと茶の湯が好きで継続していましたが海外に住み始めて改めて茶の湯の素晴らしさを学びなおしました。私が住んでいるヨーロッパでも茶の湯に興味がある人はたくさんいます。

しかしほとんどの方がお抹茶の点て方、分量もわからずに飲んでしまい「苦い」「抹茶ラテのように甘いと思っていた」など正しく伝わってないと実感しているので、私の今までの経験や学びを生かして茶の湯の良さ、素晴らしさをこのブログを通して日本語と英語で少しづつアップして伝えていきたい所存です。

英語で茶の湯の説明をして日本文化の魅力を世界に伝えると同時に、わたしたち日本人が自分たちの文化にもっと誇りをもって茶の湯を通して日本の文化の素晴らしさを再発見するヒントを与えられればと思います。

茶の湯について概要を知りたいという方には、竹田理絵さんの『教養としての茶道』を読んでみてください。

茶道を学んでいる私にとっても自分の理解があっていたかどうかの確認になり、また茶道について全く知識がない方にとっても、茶道とはこのようなものというざっくりとした認知ができるようになります。世界の方がどれだけ日本の文化、茶道に興味があるのかも理解できます。

この記事を書いた人
富士乃井 茶々

茶の湯サロン運営者の富士野乃井茶々です。

社会人になってから着物が好きになり、
着物を着たいという理由で茶道を始めました。

着付けと茶道を中心に日本文化が好きになり、
それを世界に発信するために英語の通訳案内士になりました。
2年半で4498人の欧米・アジアの方々をご案内。

現在は海外に移住し、海外から茶道文化を発信中です。

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