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利休百首は和歌のスタイルでまとめられた茶道の指南書
利休百首 ( 利休道歌 ) とは
利休百首とは茶道の精神や具体的な道具の扱い方の心得などを初心者の人にもわかりやすいように、覚えやすいようにと31文字にまとめられた百首を集めたもののことです。利休道歌とも呼ばれます。
三十一文字といえば、五七五七七です。
そうです、和歌のかたちです。
実際には全てが利休が作成した和歌ではなく、千利休より前や後の茶人の言葉もあります。千利休より前の茶人で有名な和歌集には、茶の湯には和歌の心得があることが重要であると説いた武野紹鴎の『紹鴎百首』があります。利休は『利休五十首』というものもまとめていました。
さまざま伝えられていた和歌を裏千家十一代お家元の玄々斎精中宗室(げんげんさいせいちゅうそうしつ)が百首にまとめられ、それが今日でも伝わっています。
玄々斎は1810年~1877年、まさに幕末から明治の激動の時代を生きた人です。玄々斎は利休百首 ( 利休道歌 ) をまとめたこと以外にも「立礼」を創案した方でもあります。開国を求められ海外の人々が日本に入ってきたといってもまだ今に比べたら海外の人は少なかった時代に、既に海外の人もおもてなしできるように、と時代の要請に応えた玄々斎は非常に先見の明があった方です。
また外国人を嫌う傾向があったこの時代にも海外の人にも茶の湯を伝えて受け入れていこうとした姿勢がまさに『和』の心であり、海外の人に対する『敬』の想いの現れでもあります。
現在お茶のお稽古を受けている方で利休百首( 利休道歌 )を全て丸暗記している人は私は見たことがありませんが、どうやら千利休がこの世を去ってからの茶人たちは覚えていた、または必死に覚えようとしていたことが伺えます。
というのも「咄々斎」という玄々斎が造営した茶室の茶道口のふすまには細かい字でこの百首( 利休道歌 )が書かれているのです。
ちょうどお客様が茶道具の拝見が終わるのを待つ場所にある襖なので、待っている間もボーっとしていないで利休百首( 利休道歌 )を何回も読んで覚えなさいという意図のようです。
※咄々斎は千利休の孫にあたる宗旦 の元号でもあるので、混同しないように。
また利休百首( 利休道歌 )の最後はこう締めくくられています。
「以心伝心教外別伝不立文字 拍は鳴る敲は響く鉦の躰」
「於抛筌斎 不忘書」
「以心伝心教外別伝不立文字 拍は鳴る敲は響く鉦の躰」
「 以心伝心教外別伝不立文字 」 ( いしんでんしん きょうげべつでん ふりゅうもんじ ) は、仏教の教えを表す言葉で、仏の悟りは経典ではなく、心から心へ直接伝えられるものであるという意味です。書物等で得た知識ではなく、自分自身が体得したことだけが真実であるというのが仏教の教えです。
利休百首( 利休道歌 )の最後を仏教の教えの漢文で締めくくっている点も茶の湯と仏教である禅の繋がりが深いことを感じ取れます。
後半の「拍は鳴る敲は響く鉦の躰」(はくはなる、こうはひびく、かねのからだ)は、この身体は拍 ( う ) てば鳴る、敲 ( たた ) けば響く鐘のようなものを意味します。
「於抛筌斎 不忘書」
抛筌斎(ほうせんさい)とは千利休の号※のことです。
厳しいお家元のお稽古場の襖に利休の号が記されて、「不忘書」と書かれてしまっては必死に覚えるしかなさそうです。
※号とは正しくは僧号といって、僧としての名前、出家して俗名に変えてつける名前のこと。
なぜ和歌でまとめたのか
和歌でまとめた理由は二つあり、一つは当時自分の想いや理想を伝えるのに最も適したコミュニケーションツールが和歌だったから。もう一つは千利休が茶道を大成するより前の茶人が、茶人は和歌の心を理解する情緒がなくてはならないと言っているので、和歌のかたちをとって茶道の精神を伝えたものと筆者は思います。
和歌はコミュニケーションツール
現代では和歌は学校で学んだことはあるけれど、日常的に和歌を作って人に想いを伝えたり、また人が詠んだ歌を読んだりする人はかなり少数派です。
しかし和歌はパソコンも携帯電話もスマートフォンも何もなかった遥か昔、1,000年以上前から続く日本のコミュニケーションツールです。
現存する最古の和歌集の『万葉集』は7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された和歌集なので、1,000年以上前から和歌が読まれていたことがわかります。
茶人たるもの和歌を解する情緒が必要
もう一つは、千利休より前から茶道の精神性を説いている武野紹鴎が茶の湯を嗜む人は和歌を理解する情緒がなくてはならないという教えを残したので、あえて本ではなく和歌にしてまとめたと考えられます。
唐物主体になっていた茶の湯に禅の精神の必要性を説いたのが村田珠光、さらに和歌の心を加えて和のエッセンスを取り入れたのが武野紹鴎ともいえます。武野紹鴎は、初めて茶室の掛け軸に和歌を掛けたことでも知られています。それまでは掛け軸には中国の僧侶の墨蹟が掛けられることがほとんどだったので、掛け軸に和歌が掛けられたことはインパクトが大きかったのです。
武野紹鴎は、
「好奇者(すきしゃ)といふは隠遁(いんとん)の心第一に侘びて、仏法の意味をも得知り、和歌の情を感じ候へかし」
という言葉を弟子に残しています。
現代語で簡単にいうと、「茶人というものは、俗世界のしがらみを捨て、仏法も心得て、和歌を理解する情緒心がなくてはならない」ということです。
少し難しい言葉が並ぶので1つづつ解説します。
好奇者(すきしゃ)
好奇者とは
「本業とは別に芸や趣味に専門家に劣らない力量を持って、簡潔に美の世界を語り、作法の美しい人物で、かつ金銭のことを口にしない人物」
引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AF%84%E8%80%85
です。好奇者の好奇の意味は「好き」です。
もともとは和歌を作ることに執心な人を指し、室町時代には好奇は連歌を意味し、さらに時代が進むと好奇は茶の湯を意味するようになりました。武野紹鴎のいう好奇者は茶の湯に執心している人を指します。
隠遁
隠遁とは、世の俗事を捨てて隠れ住むことを言います。隠遁の心第一にということなので、実際には俗世界から隠れないまでも、俗世のしがらみにとらわれないような心を持ってという意味です。
仏法
仏さまの説いた教え。仏法の意味をも得知りとあるので、仏教の教えの意味を体得しなければならない、となります。
利休百首( 利休道歌 )の内容を一部抜粋
利休百首( 利休道歌 )は、茶の湯の精神やお点前の心得が書かれていて、最初は茶道を始める際の心構え、そのあとに棗、炭、掛け軸、釜、置き合わせ、水差し、柄杓、ろうそく、茶巾、袱紗などを扱う際の心得が綺麗な和歌にまとめられています。
せっかくなのでどのような教えがあるのか一部抜粋します。
まずは茶道の道に入る時の心得に関することから始まり、以下の5つの歌から始まります。
利休百首( 利休道歌 )冒頭の歌
『その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ』
第一首目です。茶道をはじめる時に限った話ではなく学問でも、スポーツでも芸道でも、何かを始めようとするときに味わうべき歌です。
何事でも、自発的に習ってみたいという気持ちがあれば、その時点でその人の心の中には立派な師匠ができているのです、という意味です。
『ならひつつ見てこそ習へ習はずに よしあしいうは愚かなりけり』
やりもしないのに「茶道は堅苦しい」「茶道はつまらない」「茶道はお金がかかる」などと否定的でネガティブな批判をするのは愚かだということです。批判するのならまずは自分がやってみないことには批判はできないはずです。
『こころざし深き人にはいくたびも あはれみ深く奥ぞ教ふる』
熱心な生徒にはあはれみ深く親切に教えましょうという意味です。熱心にお茶のお稽古に通っているとその心は先生にも伝わるようで仮に習得が遅くても熱心に取り組んでいると先生は親切に教えてくれます。
『はぢをすて人に物とひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける』
知らないことを恥とは思わずに、師匠や先輩に質問することが成長への一歩です。「こんなことも知らないのか」と思われないかと尻込みしてしまい聞けないこともありますがこの歌に似た歌で、「知らぬ事は知りたる人に問うを恥じず」という言葉もあります。
『上手にはすきと器用と功積むと この三つそろふ人ぞ能くしる』
名人になるための3つの条件です。一つめは好きであること。嫌いなことを続けるのは苦痛ですが好きなことであれば突き詰められます。二つ目は器用であること。器用でなくても不器用な人は不器用な人なりの味が出せることも意味します。
三つ目はひたすらに功を積むことです。短気になることなく穏やかな心で功を積みます。
道具の扱いに関する歌
心構えの歌のあとはそれぞれの茶道の道具の扱いや所作についての歌が続きます。
『点前には強みばかりを思ふなよ 強きは弱く軽く重かれ』
軽い物を持つときは、それが重い物のように扱い、重い物を持つときは軽いものを扱う気持ちでいなさいという意味です。
軽いものを軽くもつと、その軽んじた心が反映されて道具を落としてしまったりと過ちが起きます。
重い物を重そうに持つと武骨に見えてしまうし美しくないので重たいものは軽々と持ちます。
これは言葉で聞くだけならば簡単そうなことですが、力のない女性は水指し※を運ぶときは力んでしまい流れるように所作ができなかったりします。水指しならまだしも炭をくべる際に釜を持ち上げますが、女性にはなかなか大変な動作です。
※水指し-釜にお水を汲んだり、道具を清めるための水を貯めるもの。
『何にても置き付けかへる手離れは 恋しき人にわかるると知れ』
手離れとは持っていた道具から手を離すことですが、手を話すときはまるで恋人と別れるかのように余情をもって離しなさいという意味です。
これは日本の武芸にもある「残心」にも繋がります。
敵を倒してすぐ刀を鞘に収めるのではなく、刀をさげたまま敵を見つめながら5、6歩退いてから刀を鞘に戻します。この心構えを「残心」と言います。
濃茶・薄茶
抹茶の飲み方は濃茶と薄茶の2種類あります。薄茶が一般的によく見られる泡だった抹茶で、濃茶は「濃茶を練る」と表現されるように薄茶と比較して使う抹茶の量が多くドロッとした飲み口の文字通り濃い抹茶になります。
それらの茶を点てるときの心構えの歌が続きます。
『点前こそ薄茶にあれと聞くものを 麁相(そそう)になせし人はあやまり』
濃茶だから丁寧にするとか、上級者が学ぶお点前だから丁寧にする、薄茶のお点前は少々雑にしてもよいというものではないということです。
薄茶を点てることこそ茶道の基本です。薄茶を上手に美味しく点てらえる人が濃茶も美味しく練られるのです。茶道に限らず基本が大切で、基本をおろそかにするのは誤っているという教えを伝えています。
茶杓
次に茶杓の扱い方の歌が続きます。
茶杓は抹茶をすくうスプーンの役割をするもので、棗 ( 抹茶を入れる容器 ) の蓋の上に置きますが、このとき、置き方が棗の蓋が丸みを帯びているか平かで違います。
このような細やかなことまで神経を使うのが茶道です。ただ無意味に置き方を区別しているのではなく、丸みを帯びている蓋の上なら茶杓の先から置かないと茶杓が安定しないで回ってしまいます。
美しさだけでなく、お点前をスムーズに進めるための心構えでもあるのです。
『棗には蓋半月に手をかけて 茶杓を円く置くとこそしれ』
この歌は棗の蓋が円いときは茶杓も円く置きなさいという歌ですが、他にも茶杓の扱い方の歌がいくつか続きますがここでは割愛します。
棗(なつめ)・茶入
棗は薄茶用の抹茶を入れるもので、茶入れは濃茶用の抹茶を入れるものです。特に茶入れはリンゴ、那須、壺、ヒョウタン型など様々なかたちがあるので基本形はありつつも扱い方がそれぞれ少し違います。
『薄茶入蒔絵彫りもの文字あらば 順逆覚え扱ふと知れ』
薄茶入れは棗のことで、棗には無地のものや蓋だけに絵があるもの、蓋から胴体にかけて繋がった絵や漢詩や和歌が書いてあることがあります。
この歌は、後者の蓋から胴体にかけて柄や文字がある棗を扱うときの心得で、蓋を締めたときにずれないように心して扱いなさいという意味です。
亭主だけでなく客も拝見させてもらって返すときに元あった通りに返さなければなりません。
炭
炭がなければ湯を湧かすことはできないので、炭に関する和歌は多く、100首のうち9つもあります。
茶道のお稽古でもお茶の点て方を学ぶだけではなく、ある程度お稽古が進むと「炭点前(すみでまえ)」といって、炭のつぎ方を学びます。
『炭置くはたとへ習ひにそむくとも 湯のよくたぎる炭は炭なり』
炭のつぎ方には型があり、その型をお稽古で学ぶのですが、炭をつぐ目的は湯をわかすことです。
いくらかたち通りに並べても湯が沸かず、お茶が点てられなければお茶会は成立しません。だから、少々形が悪かったとしてもよくお湯がたぎっていればそれはよいことですという意味です。
『炭おくも習ひばかりにかかはりて 湯のたぎらざる炭は消え炭』
炭をつぐときに、習ったとおりにすることに囚われすぎてお湯が沸かないようなら、その炭は消えたも同然ということです。
前の歌と意味することは同じですが、角度を変えて伝えています。つまり、それだけ炭の置き方より湯を沸かすことが大切ということです。
といっても、お湯さえ沸けば自分の好き勝手炭をつげばよいという意味ではなく、基本は炭点前で学ぶ通りにします。その上でどうしてもお湯が沸かないようなら自分の判断でお湯が沸くように工夫をしてよいということです。
『客になり風炉の其うち見る時に 灰崩れなん気づかひをせよ』
茶の湯の世界では灰(はい)すらも美です。
客は釜を拝見する際に灰をも拝見します。また客に見てもらうからには亭主はただ灰を見せるわけではなく専用の匙を使って灰を綺麗に整えて灰形(はいがた)を作ります。
この灰形を作るのは大変手間がかかることです。
特に風炉のときは釜は畳の上にあるため、客の気遣いが足りずに立ったり歩いたりしたときの振動で灰形が壊れてしまうこともあります。そのようなことがないように、灰形が崩れないように気を使いなさいという意味です。
これは茶の湯の世界に限らず、相手が手間暇かけて作成したものには敬意を示し、こちらも丁寧に扱う心構えが必要という教えにも繋がります。
掛物
掛物とは、床の間に飾られる掛け軸のことです。掛物は茶会・茶事のテーマになるため、掛物についても100首のうち6首と多くの歌があります。ここでは1首だけご紹介します。
『絵掛けものひだり右向きむかふむき 使ふも床の勝手にぞよる』
現在茶室に飾られる掛物は墨蹟が多いですが、高僧や茶人の画が飾られることもあります。
私の経験では、許状を頂く儀式の際に千利休の画が飾られておりました。
画が正面向きのものであれば問題はありませんが、中にはやや左または右向きに描かれている画があります。そのようなときは、その描かれた人物の背が勝手付き(水屋側)になるように掛けなさいという意味です。逆にいうとそういう構造の床の間でなければ、描かれた人物が水屋側を向くことになるので、その画は飾らないほうがよいかもしれません。
このように、ただ掛物を掛けるだけでなく床の間の構造との取り合わせまで配慮するのが茶の湯の世界です。
その他の道具
まだまだ様々な道具や心構えについての歌が続きます。
釜や水指しの蓋の開け方、銅鑼を鳴らすときの音量の強弱、お茶入れから抹茶を救うときの量の加減・リズムのつけ方まで非常に詳しく表現されています。
柄杓の扱いについては4首と多めです。柄杓は茶を飲むためのお湯や水を汲む大切な道具なので納得です。
また現在茶会というともっぱら「正午の茶事」が多いですが、昔は夜の茶事も一般的に行われていたのか、夜の茶事の際の照明についての歌が多いのも印象的です。
暁茶事という夜が明ける前から行われる茶事では、だんだんと陽の光が入ってくるので、ろうそくの火を紙で囲ったいわば間接照明を使い、夜咄(よばなし)の茶事では日が暮れる前からはじまり夜にかかるまで続くので、直接照明、つまりろうそくの火を使います。
他にも道具の置き合わせ、道具を置く位置、花入れや掛物を飾るさいの釘の打ち方、突然の客に対するときの心構えなどが続き、最後のほうはまた茶の湯を学ぶ際の心構えで締めくくられます。
利休百首( 利休道歌 )後半の歌
後半はまた茶の湯の精神、茶の湯を学ぶ上での心構えに関する歌で締めくくられます。
どれも奥深いもので選ぶのが難しかったですが、茶道とは単なる遊芸ではなく精神修行であることが千利休をはじめとする茶人たちの教えだと思うので、『茶×禅』の茶道に導くことを強く示している歌を7つ選びました。
一点前点るうちには善悪と 有無の心のわかちをも知る
お点前をするときは無我夢中で目の前のことに集中しなさいという教えで、お点前中は体の構え、柄杓の構え、道具の取り扱いに至るまで、はじめに柄杓を蓋置の上にコツンと音をさせて引いたときから、最後に蓋置の上に引くときまで、全神経を集中させて無我夢中でお点前をせよ、ということです。
「次はなんだっけ?」「怒られはしないか。」「笑われはしないか」などの邪念が頭から去らないのは妄信であると説いています。
右の手を扱ふ時はわが心 左の方にあるとしるべし
宮本武蔵の二刀流の極意と通ずる部分があり、実際に武士の茶の湯の流派として名高い石州流では『左右双刀の構え』といわれている教えです。
剣道では右手で切り込めば、左手は防御の構えになるわけですが、茶道ならば、茶杓を右手にもち、茶入れを左手でとったなら、右手はすぐに茶をすくう構えとなります。
この双刀の構えができれば隙もたるみもなく、筋の通ったキレのある点前となります。
このように先を読んで動く心構えは茶の湯に限らず仕事でも役にたつ心構えです。
『茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合わせにせよ』
茶はさびて、とは悪い意味ではなく、「茶の湯は質素であれ。」ということです。
つづく「心はあつくもてなせよ」は、客の心に満足を与えるように、誠心をもっておもてなしをすれば、道具は有り合わせのものでよいという意味です。
有り合わせの道具で人をもてなすなんて、と思うかもしれませんが無理して買い求めた高価な道具でもてなすのではなく、身分相応の道具で心を込めておもてなしをすれば、その気持ちは伝播するということです。
釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚かな
実際にお抹茶を点てるには茶碗と茶筅は最低限必要ですし、一通りの道具は必要ですが、余分な道具まで持つ必要はありません。
茶は道具で点てるのではない、心で点てるものですというなんとも清らかな教えです。
この歌に続く歌は対照的に、『かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚かな』と教えています。
身分不相応に数多くものを持つのは愚かですが、数多く道具を持っておきながら、道具を持ってないふりをするのも愚かといっています。
持っている人はその持てる道具を活用して茶の湯を嗜めばよいのです。
持っていないのも持っているのも、身分相応が一番バランスがとれます。
当サイトでも何度も出てくるこの歌は、利休百首( 利休道歌 )からでした。
ただ湯をわかして茶をたてて、飲むだけのこの行為が日本を代表する総合芸術とまで上り詰めたのは禅の精神とのつながりがあってのことです。
これがなければ、茶の湯は単なる高価な茶道具の見せびらかしの場で終わっており、現代まで続くことはなかったでしょう。
もとよりもなきいにしへの法なれど 今ぞ極る本来の法
「もとよりもなき」はもともとはなかったものです。
昔はなかったものを、今定めたという意味で、昔はこのようなかたちではなかったけれど、千利休のときに茶の道が大成されたことをうたった歌です。
千利休の時代より前から茶の湯は存在していましたが室町時代、戦国時代は華美で美術工芸品の発達には効果はあったものの精神修養に至ってはおりませんでした。
千利休が禅の精神と茶は一体であること、『茶禅一味』を説いて、茶の湯はたんなる遊びではなく、心を養うものである、そのことが茶道本来の法である、と歌った歌であると利休百首( 利休道歌 )の本に解説がありますが、茶の湯と禅を結び付けた、茶の湯の精神は禅の精神とつながっていると初めに説いたのは村田珠光で、そのあとに竹野紹鴎と続いて、それが形として整った、大成されたのが千利休であるといえます。
規矩(きく)作法守りつくして破るとも 離るるとても本を忘るな
こちらが利休百首( 利休道歌 )最後の歌になります。
規矩とは耳慣れない言葉ですが、「規則・手順・手本」を意味します。原則として規則は守るものですが、その規則を破るべき直面が訪れたとしても教えの「本」を忘れてはいけないという教えです。
同じ意味の言葉で『守破離』があります。
炭についての歌がよい例ですが、炭のつぎ方には規則があります。しかし下火の都合で規則通りについでも火がつかないこともあります。
そんなときは規則から離れて臨機応変につぎ方を変えてもよいわけですが、その「本」は湯を沸かすことです。臨機応変に規則を破るには常に規矩作法を十分勉強しておく必要があります。土台がしっかりしているからこそ臨機応変に対応できるのです。
茶の湯に限らず、日常の仕事や勉学にも相通じる教えです。
利休百首( 利休道歌 )のまとめ
茶の湯と禅のつながりのページで説明したように、千利休の時代はまだ『茶×美術品鑑賞』としての要素が強く、経済力の誇示、見せびらかしの茶会が多く行われておりました。
そうではなく、茶道の本来の姿を式で表すならば、
茶道のあるべき姿は『茶×禅』
なのです。
だからこそ今もなお日本人の心に根付き、引き継がれているのです。
この記事では百首全部には触れていませんが、利休百首( 利休道歌 )にはどんなことが書かれているのかを垣間見て頂けたかと思います。
全文に触れたい方は淡交社出版の利休百首( 利休道歌 )を読んでみましょう。
和歌が原文でかかれ、その解説がすべての歌についているので読みやすいです。ただ、茶道を学んでいない人にとっては退屈だと思いますので茶道を既に学んでいる方の教材としておすすめです。
利休百首( 利休道歌 )の概要を知りたいだけの方は本記事の内容を把握できれば十分かと存じます。