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茶道の精神と教えを表す 四規七則
茶の湯の精神や教えは『四規七則 ( しきしちそく ) 』で表現されます。『四規七則』で一語でも使われますし、『四規』と『七則』で分けて使うこともあります。この記事ではそれぞれ分けて『四規』とは、『七則』とは何かを解説していきます。
茶道と聞くと、抹茶を飲む、お茶碗を回す、着物を着ているなどのイメージが強いと思いますが、茶道で一番大切なことは亭主が心を込めて点てたお茶をお客がその気持ちも一緒に感謝して頂いて、心を通わせることです。四規七則の教えは現代に生きる私たちにも響くメッセージです。
四規とは茶の湯の精神を四字に要約したもの
四規は和・敬・清・寂の4つの語からなり、千利休の茶道に対する想いが表されています。たった4文字の中に茶の湯の精神がつまっているのです。
和
お互い同士が仲良くする、和し合うことを意味します。
茶道は※主客が一碗の茶を介して一座建立しますが、茶事や茶会のときに主客が表面的に和することだけを意味するものではありません。
己の心の和、道具の取り合わせの和、客一同の和などが合わさってこそ真の「和」といえます。
一座建立は亭主と客がお互いの役割をはたして、一会の茶事や茶会を成り立たせることを言いますが、ただ単に機械的に役割を果たすだけでは形としてまとまってもなんだか心が冷えるような気持ちになります。
素敵なお茶事に参加しても自分自身の心が乱れていたら相客と和し合うことは難しいかもしれません。
お茶事では掛け軸、茶碗、香合、茶杓など亭主は様々な道具を準備し取り合わせます。その中でなにか不自然なものがあると茶室空間に和が生まれないかもしれません。
主客の和だけでなく、客同士の和がないとピリピリして和やかな雰囲気の茶事・茶会を創り出すのは困難です。
主客の心、客同士の心、道具の一体感、自分の心と身体の一体感全てが和やかでいて初めて一座建立が成り立ちます。この「和」の心は茶の湯に限らず現代の社会でも基本となる心です。
和すことの重要性は聖徳太子の時代から私たち日本人に受け継がれてきました。
『和以為貴 無忤為宗』(和をもって貴しと為し、さかふることなきを宗とせよ)
現代の言葉に訳すと
「お互いの心が和やかでいることが貴いのであって、反抗することのないようにするのがよい」
という意味になります。
この言葉は十七条憲法の最初の言葉で、この時代(604年発布)から日本人は和の精神をもっていることが重要とされていました。そんな大切な言葉なので茶の湯の精神を表す4語の最初に来るのもうなずけます。
※主客: 亭主と客のこと。亭主とは茶事や茶会で客をもてなす人のことです。
敬
尊敬の敬です。お互い同士が敬い合い、自らを慎むことです。人同志の尊敬の念の他に、道具への尊敬の念、茶室に飾られた茶花への念、自分の周りにあるものすべてを敬う心を意味します。
万物によって生かされていることに感謝し、敬いの心をもって人やものに接すれば、自然と和やかな気持ちになり、ものごとも和やかに進みます。
感謝の気持ちを持って人に接する心があれば、我を通すこともなくなります。
これは千利休の教えというか私の個人的な見解ですが、自分の周りの人やものを敬う心を持つと、気づく心も生まれます。素敵なお茶碗を手にして、そのお茶碗を作った職人さんへの感謝の気持ちが生まれたり、お茶事に招かれて亭主を敬いながら自分たち客のためにどれだけの時間と手間を費やしてくれたのかなど想いを巡らせると、見えてなかったところまで見えてきて感謝の念が深まるように思います。
清
清らかの清です。清潔さのような見た目の清らかさだけでなく、心の清らかさも意味します。
心の中のくもりは目にみえませんが、心が清らかでないと逆らう心が出てきたり、我を通そうとしたりします。その心のくもりを取り除くことが清です。
茶室の入るとき、手水鉢で手を洗って口をゆすぎますが、この行為は物質的な汚れを流すだけでなく心身を清める意味合いがあります。自分で柄杓をもって、水をすくって自分自身で心を清めようとする素直で清らかな心でいることが大切です。
寂
どんな時にも動じず、なにものにも乱されることのない不動の心のことです。
茶の湯の精神を通して自然を見つめ、自然の中に溶け込み、さらに一体化していくことによって自分を見つめる。そこに不動の精神が育まれ、「寂」の境地に至るとあります。日常の努力のよってその不動の精神をつくっておくことが「寂」とも言われます。
恥ずかしながら筆者はまだこの境地に達したとは言えませんが、知識としてこのような不動の精神を知っているだけでも、どんなときにも慌てず動じないことを心掛けることはできます。
七則とは利休が定めた茶道の教則
茶は服のよきように、炭は湯の沸くように置き、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ。
このことばは、七則(しちそく)または利休七則ともよばれ千利休によって定められた茶の湯の教えです。これは利休の弟子の1人が「茶の湯で心得ておくべき最も大切なことは何でしょうか。」と利休にたずねたときに答えたものでした。
回答があまりにもわかりきったことだったので、「そのようなことは誰もが知っています。」と不服そうにいうと、利休は「私がいったことにかなう茶ができなたら、あなたの弟子になりましょう。」と諭した、という話が残っています。
七則の言葉は文字通りの言葉の他にも意味が込められていますので一つ一つ紐解いていきます。
茶は服のよきように点て~心をこめる~
文字通りの意味はお客様が飲みやすいように、適度な湯加減とお抹茶の分量で茶を点てることです。しかし、いくら正しいお点前の手順で正しい分量でお茶を点てたとしても、そこにおいしいお茶を飲んで頂きたいという心がこもっていなかれば一座建立は実現しません。
亭主が心を込めて点てたお茶をお客様もその気持ちを一緒に味わうことで亭主とお客様の心が通じあい「服のよきお茶」になるのです。
炭は湯の沸くように置き~本質を見極める~
お湯を沸かすときの炭は火がおこりやすいように置きましょうという意味です。実際に茶道のお稽古で炭の置き方を学びます。炭の正しい置き方を学んでいれば上手に炭を置くことはできますが、この言葉は形式的なことだけでなく、お客様がおいしくお茶を頂けるように、一番よい状態に保つ心遣いの大切さ、炭を湯が沸くように置くのはお客様のためという本質的なことに目を向けることが大切と教えています。
花は野にあるように~いのちを尊ぶ~
茶道では床の間に花を飾りますが、花は自然のままに咲く姿を大切にして入れるように心がけます。華道のように剣山は使わず、いわゆる投げ入れスタイルです。けれども野に咲く花を切ってそのまま無造作に花入れにいれるわけでもありません。
野に咲く花の美しさと、自然から与えられている生命の尊さを表現する工夫をすることに意味があります。フラワーアレンジメントのように豪華に生けることはしないので、華やかさよりも命の尊さを盛り込むことに重きをおきます。
夏は涼しく冬は暖かに~季節感をもつ~
茶道では季節感を大事にします。誰でも夏は涼しく冬は暖かく過ごしたいですが、空調設備で温度調整をするだけではありません。
夏は少し浅いお茶碗でお茶を点てたり、建水に水を捨てるさいにわざと滝を思わせるような捨て方をしたり、冬には筒茶碗という深いお茶碗でお茶を点てて冷めにくくしたりします。お道具の取り合わせも自然のリズムにそうのが茶道です。季節を感じることでその恵みに感謝する心、自然に生かされていることを尊ぶ心を教えています。
刻限は早めに~心にゆとりを持つ~
約束の時間を守るという文字通りの意味の他に時間を大切にすること、時間を尊重することを意味します。
何事も早め行動を心掛けて準備すれば心のゆとりがうまれて自分自身がゆったりとした気持ちになり、相手の時間を大切にすることにも繋がります。
お茶事では時の流れ、移ろいも大切にします。お互いの大切な時間の中、でお互いがゆとりの気持ちをもつことで主客の心が開いて一期一会を作り上げることが茶の湯の基本になります。
降らずとも雨の用意~やわらかい心を持つ~
雨をたとえにした教えですが、雨だけでなく日頃からどんな場合でも適切に応じられる心の準備と実際の準備をしておくと、慌てないですむという教えです。
仕事でも学業でも準備をしっかりしていれば、本番のプレゼンや試験でも落ち着いて行動できます。
お茶事に参加するときでも、普段からお稽古に励んでいれば慌てることなく適切に対処できゆとりを持って自然な心で行えるようになります。
相客に心せよ~たがいに尊重しあう~
相客(あいきゃく) とは、自分以外の客一同のことで、正客の座の人も末客の人もお互いを尊重しあい客同士も心を通わせることが一座建立に繋がります。
お互いの心の動きを察し、相手に迷惑をかけず、恥をかかせないようにいたわる心が自然に発揮できるように、亭主と客、客同士が心を通わせます。
四規七則は茶の湯の基本
四規と七則について解説しましたが、茶の湯の基本は四規にあります。七則の教えは四規に基づいています。
降らずとも雨の用意は和敬清寂の「寂」に繋がりますし、相客に心せよは「和」や「敬」にリンクします。全ての教えは茶道の理想である「和敬清寂」に裏付けされており、その心は茶道のお稽古を積んで、茶事や茶会に参加して実践をすることで習得されていきます。
実際に筆者は日本にいたころはただ単にお点前をしていて、茶道って楽しい・お茶の雰囲気が好きという気持ちがほとんどでしたが、お稽古を積んだことで茶道の奥深さを実感しております。